bunbunの記 ② お気楽ブログ

作文したいなあと思ったときに書いてます。(「bunbunの日記」は毎日書いています。右欄の「リンク」からどうぞ)

同じ風景

こういうことがあると、一体なんなんだろうかと思う。

 

この世の中はどういう成り立ちをしているのだろうかと考えたりもする。

 

大学生の4年間は、東京都世田谷区世田谷三丁目22番●●号の民家の一室を間借りしていた。

 

その世田谷に関係することだけでもすでにふたつの「こういうこと」があった。

 

ひとつ目は、東京から600キロは離れているこの島根の田舎町の役場に勤めていた7年前のある日、隣の席の私より二回り若い後輩と話をしていて、彼の母親の実家が私の下宿のすぐ近くにあるということが分かったこと。(子供の頃、関東で暮らしていたその後輩は、母親の実家によく泊まりに行っていたともいう)

 

ふたつ目は、2年ほど前に関東の伯母の葬儀に参列するために上京して、葬儀の翌日には1日かけて学生時代を過ごした場所を歩き回ったのだが、訪れた大学の構内にある博物館の受付の女性が私が暮らす島根の隣の町の出身だということが分かり、さらには、そこから数キロ先の世田谷に移動して、昔懐かしいある文房具屋に入ると、そこの老店主のかっての同僚で今も年賀状のやりとりをしている人の住所がこれも博物館の女性と同じ「隣の町」だったこと。(どちらも私が「島根から来た」と話して分かった)

 

これだけでも十分に普通なことではないと思うのだが、今回さらに三つ目のことが加わった。 

 

先日の夜、役場から女房に電話があった。

 

それは町が発行するリーフレットに掲載する目的で養蜂の仕事とその暮らしを取材したいという要件だった、と電話を終えた女房が言う。

 

難色を示したのだけど話だけでも聞いて欲しいと言うので我が家への訪問の日時を決めたとのことで、私もそこに同席することにした。

 

面白いもので、役場からの電話などそうそうあるものではないのに、その翌日には同じ部署から今度は私宛に電話があった。

 

取材の件かと思ったら統計調査の仕事の依頼であって、その余裕がないのでこちらはすぐに断ったのだが、電話の主が私のかっての同僚だったので昨夜の取材担当者のことを聞いてみると、私が退職した5年前に入れ違いに役場に採用になっているYというその職員のことを私が知らないのは当然であったのだが、職員の父親も昔は役場に勤めていて、私はもちろん、結婚前に1年間ほど臨時職員で役場で働いたことのある女房もよく知っている人だった。

 

そしてさらにその翌日の朝、取材担当者のYくんが予定通り我が家にやって来た。

 

Yくんが説明するリーフレットの全ページに写真と文章とで紹介されるという企画は、その柄でないという理由で断ったのだが、養蜂業についての話は興味を持って聞いている様子のYくんだったので、その意味では無駄足に終わるということばかりではなかったのかもしれない。

 

双方ひととおりの話も終わろうかという頃に、役場に入る前はどこにいたのかと聞くと、Yくんは東京だと答える。

 

東京と聞くと懐かしいので、私はいつもその先を尋ねる。

 

「東京のどこだったの?」

 

「働いてるときは新宿の近くとかで、渋谷の近くにも住んでいました」

 

「僕は学生のときは、世田谷区の区役所のすぐ近くに住んでたんだよ」

 

「そのすぐ近くの大学でした。○○大学です」

 

「すぐ近くだね。下宿は世田谷の三丁目だったよ」

 

「僕も三丁目です。学生時代はずっとそこでした」

 

「 住んでたのはね、世田谷の駅から世田谷通りとは反対の方向に進むと信号機がある交差点があって・・・」

 

「はい」

 

「その交差点を過ぎた最初の細い道を左に入って、その先で右に曲がってすぐのところの・・・」

 

「はい、まさにそこです。同じ風景を見てると思いますよ」

 

「住所は三丁目22番●●号だった」

 

「僕は三丁目20番●号でした」

 

Yくんが帰ってからインターネットの地図で見ると、私の下宿とYくんの下宿との距離は30メートルもなかった。

 

 

 

 

大林監督

4月10日、大林宣彦(1938.1.9 - 2020.4.10)さんが東京都世田谷区の自宅で逝去された。享年82歳。

 

大林監督の映画は次の5作品を観ている。

 

転校生(1982.4 公開)
時をかける少女(1983.7 公開)
廃市(1984.1 公開)
さびしんぼう(1985.4 公開)
異人たちとの夏(1988.9 公開)

 

以下、その頃に付けていた日記(時々書いていたメモ程度のもの)から拾ってみた。

(「・・・」以降は今回追記)

 

 

1983.5.4 テレビで、映画『転校生』を観る。

 

・・・東京は世田谷区の下宿で観た。当時大学4年生。学生生活も最終年を迎えていた。

 

1983.7.16 浜田市で、映画『時をかける少女』を観る。

 

・・・東京から帰省して、翌日の島根県職員採用試験を受けるために前泊したときだったと記憶している(試験は不合格)。一週間後の7/23には島根県西部で集中豪雨が発生し、大雨の中、実家で不安な夜を過ごした。

 

1984.1.23 東京池袋で、映画『廃市』を観る。

 

・・・映画を見終わると外はすでに暗く、駅へと向かう途中で何度か風俗店の客引きに声を掛けられたような記憶がある。 

 

1984.2.21 東京吉祥寺で、映画『転校生』を観る。

 

・・・卒業も間近となったころ、友人と2人で吉祥寺まで行って観た。同時上映の『家族ゲーム』(’82 監督 森田芳光)もこのとき観ている。

 

1985.4.30 広島市で、映画『さびしんぼう』を観る。

 

・・・郷里の役場勤め2年目。独身の頃は映画を観たりするためによく広島市へ行ったものだ。

 

・・・(ここまでは、自発的に、そして次はたまたまに)

 

1989.1.1 機内で映画『異人達との夏』を観る。

 

・・・年末から友人とサンフランシスコに行き、市内や郊外をひたすら歩き回った。その帰途の飛行機での上映。(そのときの日記より)15:55、11時間掛かって成田空港着。19:00大阪空港着。安心する。ホテル泊。

 

・・・そして、その2年後、結婚して子供もできて、それからは映画もほとんど観なくなった。

 

以上、20代のころの記憶とともに、感謝を込めて・・・ 

 

 

演劇

 

道路に面した建物の右端の出入り口から中に入ると、建物の前面と右側面の壁に沿う細長い土間と(Lの横棒を反対にした形)、その土間の両方向に並ぶ前後2列のパイプ椅子が見えた。

 

土間の先には一段高くなった板張りの床があって、その板張りの床と並べられたパイプ椅子との狭い間を通って奥へと進み、突き当たりの壁から5~6席手前の椅子に座る。

 

すぐ目の前の床の上には横一列に並んだ座布団があり、その先には椅子に腰掛けて使うタイプの長机とその上に雑然と置かれたいくつもの小物が見える。

 

私から見て左手の、入り口に近い床の上には座布団が横3列に並べられていて、その前にはもうひとつの長机が置かれている。(その上にもいくつもの小物)

 

そのふたつの長机と、この建物の二方向の内壁(扉もある)とに囲まれた四角形の狭い場所が舞台であることを確かに知るのは、劇が始まってからのことだった。

 

開場時間になって建物に入ったときからずっと、一人の男性が板張りの床の上に立って「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」「お手洗いは建物を出て右の〇〇会館にありますので、そちらをご利用ください」などと繰り返している。

 

次第にパイプ椅子に続いて座布団の席も観客で埋まり、それまで床の上で案内を繰り返していた男性が話し始める。

 

「私は、劇団晴天を主宰し、今回の演劇の脚本・演出を担当している大石晟雄と申します・・・ある演劇公演の楽屋が舞台となります・・・それぞれの机の前には大きな鏡があると思ってください」

 

 

1月26日(日)夕方

 

演劇を観に行く。

 

場所は島根県大田市温泉津町(ゆのつちょう)の温泉街にあるゲストハウス。

 

数日前に、地方紙の朝刊の記事で公演を知った。 

 

 

(今回はここまで。この先のことをまた書く日が来るかもしれません。とりあえず記録として残しておきます) 

 

 

劇団晴天  『共演者』

 

2020.1.26(日) 13:00~、18:00~ 

ゲストハウス&カフェ「メグルヤ」(島根県大田市温泉津町

 


出演

近藤陽子、佐藤沙紀、白石花子、鈴木彩乃、函波窓、田中考宗、角田悠、荒木広輔

 

脚本・演出  大石晟雄

音響  北島とわ

舞台監督・照明  野津博康 

制作  尾形麻悠子 

編集  白石花子

稽古場助手  谷川清夏

宣伝写真  保坂萌

 

主催 IWAMI  ARTS  PROJECT  実行委員会 

 

 

あべさん

昨日は集落の日帰り旅行で山口県の湯本温泉へ行った。


谷間のひなびた温泉街に到着して知ったのだけど、ここには数年前に首相とプーチンが会見した老舗の旅館、大谷山荘がある。


宴会後の自由時間に歩いてその大谷山荘まで行ってみた。

 

温泉街の中でも抜きん出た存在である老舗旅館の(一人勝ちしたような)姿も印象的ではあったのだが、ここではそこに行く途中でアイスクリームを買った(飲んだ後はあまいものがほしくなる)商店のおばさんとの会話を書いておく。

 

「なんで大谷山荘だったんですかね?」

 

「あそこしかないでしょう」

 

「でも、全国にはあちこちにあると思うんだけど」

 

「そりゃあ、あべさんの」

 

「最近、あべさんがんばれーって感じですよね」

 

「だいたい、あたしに言わせれば、桜を見る会なんてつまらないことに何時間も国会の大切な時間を使って」

 

「まあ、いろんな考えがありますからね」

 

最初から誘い水のつもりで話しかけたのだけど、インターネットのツイッターなどでよく目にするのと同じ意見を現地の人から直に聞くことになって、少々動揺してしまった。

 

「いろんな考え方がありますからね」と言いながらそそくさと店を出てしまったのだけど、あそこで「そうですよね、野党なんか・・・」などと同調していたら、もっといろいろな(裏)話が聞けたのではないかと、自らの懐の浅さを反省したりもした。

ヒルとネギ

以下は、去年の10月頃の話です。

 

 

今年も白ネギの出荷が始まった。


これから2ヶ月に渡る連日の作業が続く。


先日のこと、いつものように収穫したネギを軽トラに載せて我が家へと向かうと、2人の人影が家の横を流れる小川に見えた。


道の端に車を止めて、川の中に入っている男女2人。


家の庭先に軽トラを止めて、その2人のところへ行く。


「なにか珍しいものでもあるんですか?」


「調査でヒルを探してるんです」


ヒルなら田植えの時なんか、田んぼによくいますよ」


「そうですか、田んぼ、入ってもいいですか?」


「どうぞ、どうぞ」


軽トラまで戻り、ネギを包んだ束をおろし、また2人のところへ行く。


「いました?」


「見つかりました。サンプルが採れました」


と、言いながら細長い円筒形の容器を私に見せる。


「そうですか、ヒルの調査なんですね」


「県の西側からずっといそうな場所を探してるんですけど・・・(以下、近年のヒルの状況とか、川と田のヒルの違いとか聞いたと思うのだけど、時間が経ったので忘れてしまった)」

 

「大学かなんかですか?」


「ホシザキ野生生物研究所といいます。電気製品メーカーのホシザキです。ゴビウスのところにあります」

 

「ゴビウスなら昔行ったことがあります。調査結果って公表されるんですか?」

 

「数年先になりますけど、ホームページにも掲載されます(これも記憶がおぼろ)」

 

そんな会話をした。

 

そして、2人が乗った車は走り去り、私はネギの出荷作業を始めた。

 

 

最期

 

弟に、ごめんな、と言ったそうだ。

 

もっと(もうちょっと)生きたかった、と言ったそうだ。

 

疲れたから少し休むよ、と言ったそうだ。

 

 

 

最初に知ったのは就職して2年目で異動した先の職場だった。そのときはお互い20歳とちょっと。そのときからずっと、ずっと可愛げのないやつだった。ブログ書いたよ。書いたと言ってもとても短いメモみたいなもんだね。あれからいつのまにか30年以上が過ぎて、思い起こせばそれなりに長い歳月ではあった。お疲れ様。なぜだか、やっぱり涙が出るよ。

 

 

座右の迷

 

何故だか役場の総務課長になっていた

 

数年前に辞めたはずの役場だったのに

 

そんな夢を見た

 

・・・

 

ちりも積もればごみとなる

 

千里の道も一歩まで

 

ローマは一日にして終わる

 

思い立ったがやらない

 

危ない端を渡る

 

座右の迷 

 

石橋をたたいて暮らす

 

果報は寝てから

 

 ・・・

 

それでも

 

ちりも積もれば

 

夢の向こう側に空は広がる