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bunbun-hの日記

お気楽ブログ

次は東京へ行こう

平成28年(2016年)

 

12月23日 女房と東京へ行く。正午前に到着して、駅の南側の出口である八重洲口から歩き始める。

 

次は東京へ行こうということになった。東京には大学時代を過ごした懐かしい土地がある。手元には東京上野の国立科学博物館の招待券が2枚ある。そして、これは最近になって知ったことなのだが、私が住んでいた下宿の近くには井伊直弼安政の大獄によって処刑された吉田松陰を祭る松陰神社があり、さらには何度か散歩がてらに訪ねたことがある、これもまた下宿の近くの豪徳寺というお寺には井伊直弼墓所があるというのだから、そこに行けば学生時代の若かりしころの思い出に浸る私と、歴史好きの女房とが同時に満足することもできる。

 

そんなこんなで東京へ行くことになった。

 

(つづく)

 

・・・書きたい書きたいと思いながら書けなかった東京方面旅行記を書き始めようと思うのだけど、さてどうなりますやら。

Habits of the Under Toad

録画していた「ガープの世界」を観たのだけど、学生時代に新宿の映画館で観終わってからも呆然となったままで帰宅した映画で、数年後に広島で2回目を観て、さらにジョン・アービングの原作を原書で買って英文なんで分からないままに3回ぐらい読んで、そして多少の人生経験をつんだのちに女房の横で観たらとても涙が流れた。

 

原作はJohn Irvingの 「The World According to Garp」という小説なんだ。

 

原書で少なくとも3回は読んだ。

 

英文なんで少ししか分からなかったけど、それでも読んだ。

 

映画でも何回か出ていたのが「引き波に気をつけろ」っていう場面で、「引き波」というのは英語ではヒキガエルを意味する「Toad」と紛らわしい発音のようで、この映画の主人公が子供のときに呼びかけられたのもそうだったけど、その主人公が父親になってから波打ち際のその波の中にいる我が子に向かって「引き波に気をつけろ」と呼びかけたときも、その呼びかけられた方は自分が立っているその海面の下にヒキガエルが潜んでいるのかと思ったのだ。

 

Habits of the Under Toad

 

原作では、主人公とその家族が遭遇した事故について書かれている章はそういう題になっていたと思う。(その次の章だったかもしれない)

 

足元に潜んでいるヒキガエルの習性

 

訳したらそうなるのかもしれない。

 

そして波打ち際に立つ私はその声を聞く。

 

足元にいるヒキガエルに気をつけろ、という声を。 

 

 

お気楽ブログにつき

このブログのサブタイトルは「お気楽ブログ」としている。

 

なにが「お気楽」かと言うと、書こうと思って書けたときだけに載せるブログだから、と言うことなのだろうと、さっき思った。

 

年末に女房と4泊5日の関東方面への旅行をした。

 

とても多彩でとても興味深い旅行になった。

 

次はその旅行記をこのブログに書こうと思っている。

 

ぜひ書いてここに載せたいと思っているのだが、暮れ正月は意外と慌しくて時間もとれず、そしてなによりも旅行自体がなかなかに「複雑快奇」だったので、どのように書き留めればよいのかちょっと困惑もしている。

 

・・・と、ここまでいったい自分は何を書こうとしているのか。

 

お気楽ブログなのに、いつまでも書けないことの言い訳をしたいのかもしれない。

 

お気楽ブログなのに。

山陰陰滅滅

ついにやって来た。

 

山陰の冬が。

 

山陰の冬は寒くて暗いのである。

 

その山陰の冬がついにその入り口をあけた。

 

これから春の出口に至るまでは陰陰滅滅とした長い日々を送らなければならない。

 

そんなことを考えながら風呂に入っていたら、よいタイトルを思いついた。

 

よいタイトルを思いついたので、そのタイトルをつけたブログを書こうと思って、いま書いている。

 

そしてそのタイトルをまずは入力したのだが、実際にそれをこの目で見たら余計に気が滅入ってしまった。

 

山陰陰滅滅

 

気温もブログも・・・

 

今夜はいろんな意味で寒い。

岡山へ、そしていくつかの奇遇のこと

12月10日(土)曇時々晴

 

岡山市に行く。夫婦2人の日帰り旅行。春からの思いがようやく実現する。

 

ところで、静岡県伊東市に重岡建治さんという彫刻家がいるのだけど、その伊東市には私のいとこも住んでいて、いとこはずいぶんと前から重岡さんには懇意にしてもらっている。

 

今から50年ほど昔には、そこで職を得たことで暮らし始めた伊東市のその職場において、いとこの同僚となった人が重岡さんの弟であり、いとこの両親も(母親は私の父の姉)、重岡兄弟の母親も、伊東市から600キロも離れた私の暮らすこの町の(平成の合併前は重岡のお母さんは隣町の)生まれ育ちという奇遇のようなことがあった。

 

こちらもすでに35年も昔のことになったのだが、東京で大学生活を送っていた私は何度もいとこの家に遊びに行ってはそこに飾られている重岡さんのいくつかの作品を目にして、いとこからはその作者のことを聞いていたし、私の父親がいとこに案内されてそのアトリエを訪ねたこともあって、我が家にも重岡さんの小さな彫刻や作品集があったので、その作品には若いころからずっと馴染んでいた。

 

そして今、我々夫婦はこの年末に関東方面への旅行を計画している。大学の4年間を過ごした世田谷界隈などを歩いたその足で伊東市のいとこの家にも立ち寄る予定なのだが、いとこにはそのときに可能であれば重岡さんのアトリエを訪問したいと連絡している。お目にかかることができなくてもアトリエの外観だけでも拝見しておきたいと伝えている。

 

さて、その関東への旅行を目前とした今回の岡山でのこと。

 

昼前に岡山駅に着き、すぐに駅から1キロばかり歩いて、この春から息子が働き始めた会社の社屋を道路から眺め、さらに1キロほど先の息子のアパートまで行きその周辺を歩いた。息子の会社とアパートを見てその周辺を歩く。これが今回の旅行の主な目的だった。

 

それから、一緒に夕食をとるための息子との待ち合わせ時間までに市内散策をしようと、まずは岡山城に向かって歩き始めた。若いころから気ままに歩き回る旅行ばかりをしていることもあって方向感覚には自信があったのだが今回は違った。駅から東へ向かったところにある岡山城なのに、南にあるものと思い違いをしていたことも大きく影響した。頭の中で思い描く市内の地図ではやがて出くわすはずの路面電車の走る大通りにいつまで経っても辿り着かない。どこをどう間違ったのかと考えながら歩いていたら、市内を北から南へと流れる旭川にぶつかった。岡山城はこの旭川を内堀の一部としているのでこの川に沿って歩けば良いのだが、現在の地点がどこなのか分からないし、遠くの景色を見てもその方向が川の上流なのか下流なのか判断がつかない。

 

「すみません。岡山城ってどっち方向ですか?」 

 

通り過ぎるのは自動車と帰宅途中の自転車の学生ばかりで道を尋ねることもできず、河沿いの住宅地を歩きながらようやく玄関先の花に水をやっている女性を見つけて聞いた。

 

「向こうですよ」と女性が指差す方向へと河沿いの道を歩いて行くと、やがて城下町の名残を示す案内板などが散見され始め、ほっと一息ついたその先には馴染みのある姿をした大きな野外彫刻が立っていた。

 

それは重岡建治さんの彫刻だった。

 

数十、あるいはそれ以上の数が国内外の広場などに設置されている重岡さんの野外彫刻だが、実際にこの目で見たのはこれが初めてのことだった。

 

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                                                            「 家族(1988)」

 

追記・・・

今回の岡山への旅行ではもうひとつの奇遇があった。

私のかっての職場のある先輩がいて、その先輩は民俗学や考古学の研究者でもある。

息子が大学1年のちょうど今頃の季節(※)に夫婦で奈良の橿原市桜井市あたりを歩き回り、その帰路に大阪の息子と会う旅行をした。橿原市では橿原考古学研究所附属の博物館にも行った。

その旅行では我が家から30分のところにあるバス停から高速バスに乗ったのだが、そこにはたまたま京都の大学の社会人コースでの短期講習に出掛けるためにバスを待っている先輩がいて、バスの中でこれから行う我々夫婦の旅行の話などをした。

(その先輩は現役のころは埋蔵文化財の発掘調査の担当をしていて、若いころには橿原考古学研究所で研修をしたことがあると言うし、その先輩は民俗学を専攻していた息子の大学での教授と旧知の仲であったことや、その他にもまだいろいろなつながりが絡み合うのだが、絡み合っているだけに煩雑な文章になるのでそれらは省略する)

そして、息子が社会人1年生になった今回の旅行では、我が家から45分のところにある、奈良に行ったときとは違うバス停から高速バスに乗ったのだが、終点の広島駅で我々より先にバスを降りて歩いている男性を見て女房が「あれって〇〇さんじゃない?」と先輩の名を言った。私はバスに乗るときに列の中のある後ろ姿が先輩じゃないかと一瞬思ったのちにそれを打ち消していたのだが、それは先輩だったというわけだ。
日帰りの岡山旅行の翌日である今日の朝、先輩の携帯に電話すると今は考古学の勉強のために神戸にいると言う。昨日は同じバスに乗っていたし、4年前もそうだったという話をすると先輩も「面白いものだなあ」と電話の向こうで答えた。

 

(※)あとから考えてみたら、大学1年ではなくて大学2年のときだった。でも、大学1年の12月にも奈良県に行っていて(初のフルマラソン)、その帰路の途中で息子に会い、先輩から息子へということで預かっていた先輩のタタラ製鉄かなにかについての雑誌掲載記事のコピーを手渡しているので、それらすべてを一連の流れとして訂正しないで置く。

 

今日の日記(オートマティスム:自動書記的な)

広島菜の出荷が終わった。全部で900kgほどだった。圃場準備でぎっくり腰になったり、その他にもいくつかの災難に見舞われたような広島菜の栽培だったけど、なんとか出荷までこぎつけることができた。たぶん肥料代と農薬代ぐらいは出ると思う。労賃はゼロだろうけど、とりあえずはほっとした。これで作付けをした全ての作物(ピーマン、ツルムラサキ、インゲン、ケイトウ、エゴマ、広島菜、米)の出荷を終えたことになる。今年は例年にない天候不順の年だったそうで、そんな年に農業一年生をやり終えたのだから、まあたいしたものだと自分で自分に言っておく。めちゃくちゃに大変な春からのこの8ヶ月だった。めちゃくちゃに大変だったけど、これまためちゃくちゃに儲からなかった。農業の現状というものを実体験することができた。中山間地における農業振興とか若い人よぜひ田舎で農業を!なんて簡単に言ってるのはみんなうそつきだと思った、と、どさくさにまぎれて書いておく。もっともっと工夫が必要だと実感した。この冬にはしっかりと準備をして、来年はなんとかいくらかの結果を出したいと思っている。がんばるぞーと決意を新たにはしているのだけど、それにしても次第に老化を感じる歳になった。そういえば、今日の昼ごはんのあとにユーチューブを観ていたら、ピーター・フランプトンという初老のミュージシャンがギターを弾きながら歌っている動画を見つけたのだが、まてよ、ピーター・フランプトンって自分が高校生だったころにはちょっと有名だったあのちじれっ毛の若い長髪の人ではないかと思って調べたらやっぱりあの人だった。誕生日を見れば自分より11歳年上なのだけど、11年なんてあっという間に過ぎて行くのだから、自分もあっと言う間に初老となっていくのだなあと思いながら昼寝した。

あれあれこんなにたくさんの本を

あれ以来、自分のフェイスブックツイッターはあの映画の紹介の場と化している。

その映画を観てからちょうど1週間が過ぎた昨日の日曜日に町のトレーニングセンターに行った。

この田舎町にも最新機器を装備したトレーニングセンターというものがあって、田舎町故になのかおおぴらには走りまくったりできないらしい女房は、時折そのセンターというところに行っては体力づくりに励んでいる。

その女房にくっついて行った。

休日には町の職員が交替でそのセンターの受付などをしているのだが、その日は旧知の女性がその当番だったので、ちょっとトレーニングをしては、ちょっとその女性と話をして、それからまたちょっとトレーニングをして、そしてちょっとその女性と話・・・を何度か繰り返したのは、その日の午前中の私の集落にある小さなお宮のお祭りでの酔いの醒めぬ状態であったからでもあったのだった。

(そういう飲酒後の状態だったのでトレーニングと言ってもずっとバランスボールというとても大きくてやわらかいボールの上に腰掛けて両足を浮かせながら床に転げ落ちないようにバランスをとるようなことをあきもせず1時間ちかくずっとやっていた)

ということで、もちろんこんな話もした。

この世界の片隅に」って映画すごく良かったよ。原作の漫画本を図書館にリクエストしたから。買ってもらえるかどうかわからないけど、もし入ったら読んでみてよ。

それから、女房のトレーニングが終わったので近くの図書館に行った。

この日の休日の勤務はこの図書館の司書だった。

(ちなみにこの図書館は町の図書館の本館であって、あと町には分館が2つあって、私の家からは本館よりも2つあるうちの一方の分館の方が近い)

この世界の片隅に」って映画がすごく良くってね、その原作の漫画本を分館の方にリクエストしといたからね。

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以下は、ツイッターでの自分のツイートから・・・

今日、当町図書館の本館の方に行くことがあってそこの司書に、こうの史代さんの「この世界の片隅に」の購入リクエストを分館にしたからと言ったら、その本ならもうここ(本館)に蔵書としてあるし、その作者の本なら他にも何冊かありますよって言うので、全部借りて帰りました。

夕凪の街 桜の国」「さんさん録(1、2)」「ぼおるぺん古事記(天の巻、地の巻、海の巻)」「平凡俱楽部」の7冊です。

 

 

(「この世界の片隅に(上、中、下)」はあの日、映画を観たそのあとすぐに買っていたけど、たくさんの人に読んで欲しいから図書館にリクエストしていたのです)